無題

小さいとき、つっても少しひねた年頃になってくると、特撮映画など見るときに粗探しするじゃないですか。俺は今でも現役だけど。
  
キングギドラのテグスが見えた」だの「モスラ幼虫の車輪が見えた」だのと。要は「オモチャっぽいぞ!」って言いながらみたりする。ならCGで描かれたものだったらどうかって言うと、それはそれで「質感がないぞ!」とか文句言ったりする。どっちにしろ文句言う。
    
だからといって、まさか本当にテグス無しのギドラや尺を取りながら這い回るモスラが現れることなんか望んでるわけではないんですよ。当たり前ですよ。
    
結局、特撮映画の中の出来事なんて全部嘘!って言う大前提は理解してるつもりでも、まだどっか不安だから、非日常的な破壊の映像の中から粗を探すことで安心し、間接的に今自分が平和に暮らしてることの幸せを感じていたんだと思います。
    
粗探しの余地が全く無い本物の破壊の風景を連日のように目にして、更にその出来事が自分の生活にも少なからず影響してきてるという事実がその風景に信憑性を持たせて、初めて、心から、そう思います。